愛している人には、たくさん与えましょう
わたしたちは他人を傷つけたくないので、いつもウソをついています。
たとえば、わたしがあなたの家に遊びにいき、出してもらったコーヒーを新しいソファーにこぼしてしまったとしましょう。
慌てるわたしをあなたはきっと「大丈夫、心配しないで」となだめるでしょう。
でも、わたしではなく誰か家族の一員がそれをしたとしたら、と想像しただけで恐ろしい場面が目に浮かびます。
新しい職場につき、新しい上司が「どう、慣れた?」と聞いたとしたら、たいていの場合「はい、慣れました」とニッコリしながら答えるはずです。
ですが人は、愛している人たちの前だけで披露する癖があるようです。
「友だちが美容院でひどいカットをされてしまった」と、泣いてやってきたとします。
あなたはきっと、「全然ひどくないわよ。かわいいじゃない。似あっているわよ」などといって慰めるでしょう。
職場で気のあわない人に向かっても、ちゃんとほほ笑んで挨拶もします。
なぜこれと同じことを、愛している人たちに対してできないのでしょうか。
例えば、どうってことないと思ったにしても、なぜ、誰かを喜ばせるために言葉ひとつかけられないのでしょうか。
人間というものは、どういうわけか見知らぬ人やただの知りあいにばかり、いい思いをさせているようです。
ハートで相手の話を聞きましょう
きちんと話を聞くというのは、一種のワザです。
きちんと聞くということは、どういうことかというと、人の話を聞きながら自分の答えを考えたりせずに、ただただ聞いて、相手を理解することに集中することなのです。
夫が帰宅し、その日一日の話をするとき、あなたはどんな反応で受け答えをしていますか?
わたしは結婚当初、夫が帰宅し、その日に百万円の取引を失ってしまった話をすると、一生懸命に耳を傾げながら、それを取り戻す方法を考えたものでした。
そして、「まだ、取り戻せるかもしれないわ。もう一度、電話してみたら?それとも、何か代案でも考えるとか」と、いったのです。
夫はそんなわたしに対して、いつも不機嫌になり、「もし、君ができるというのなら、仕事を僕とかわってくれたらいいだろ」と応じます。
その態度に腹をたてたわたしは、「何よ、人が話を聞いて、何か力になれることはないかと考えているのに、怒鳴ることはないでしょ」といい返していたものです。
今では、彼がわたしに解決策を求めていないのがよくわかります。
つまり、仕事や何かでうまく事が運ばなかった場合は、その悔しさを分かちあいたいだけなのです。
最近では、同じような状況になっても、「まあ、ひどい話ね。聞いているだけで、腹がたってくるわ。」というだけにとどめています。
あなたのご主人は、今までに何回ぐらいイラだちの共感を求めましたか?
それに対して、あなたは彼を正当化してあげるどころか、彼の立腹の原因になっている相手の肩をもったりしませんでしたか?
さて、ここで1つチェックをしてみましょう。
たとえば、彼が肩を落として帰宅し、その日の社内発表で、期待の昇進ができなかったと嘆いたとします。
あなたなら、どう相手を慰めますか?
次の四つのうちから、選んでください。
①出世したからって、よかったかどうかわからないじゃない。
②おそらく、上司はあなたを昇進させたくない理由があったのよ。
③きっと、あなたより勤続年数が長い人だげが昇進できたのでしょう。仕方がないわ。
④そんなくだらない会社なんて、やめてしまえばいいのよ。
これらのいずれも、相手の気持ちを理解していない答えです。
彼は、願望が叶えられなくて、がっくりきているのです。
あなたがとるべき反応は、「えっ、とんでもない話ね。会社はあなたの本当の価値がわかっていないのよ」といったようなものでしょう。
けっして解決策を提案したり、アドバイスをしたりする必要はありません。
夫は私に何か困ったことを話すとき、今ではこういいます。
「余計なことはいわなくていいんだ。アドバイスもいらないんだ。僕はただ聞いてもらいたいだけなんだから」と。
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