私達はもうだめだと思ってしまったら
Aさんは、二十二年の長い結婚生活に、今まさに終止符を打とうとしていた女性です。
「もう、たくさんだわ」というのが、わたしとはじめて会ったときに彼女の口をついて出た言葉。
彼女は、夫が自分の考え方ややり方が正しいと、どうして認めてくれないのか納得がいきませんでした。
ふたりの意見が食い違うといっても、どちらかが正しくてどちらかが間違っているというものではありません。
わたしのアドバイスによって、彼女はそれに気づき、異を唱えずに彼のやりたいようにやらせてみました。
その結果、ふたりの関係には恐るべき変化が訪れたのです。
妻のそれまでにないオープンな態度に、夫は「これぞまさしく僕が結婚した女性!と感激し、彼女を腕に抱きしめ、驚いたことに二十二年目にしてはじめて花束のプレゼントをしたのでした。
愛しあえる関係でいるための基本は、その人がその人であることを尊び、あなたが勝手につくりあげた相手のイメージを愛してはならないということ。
これがどんな愛よりも純粋な愛なのです。
そう、まさに生まれたばかりの赤ん坊を愛するように。
相手はあなたの愛を得るための資格などいりません。
それはまさしく自発的なものなのです。
子供が成長するにつれ、わたしたちは…たら」「…れば」という言葉を使うようになります。
「もし、あなたがいい成績をとる事できたら…」
「もし、わたしの機嫌をよくしてくれたら…」
「もし、あなたがわたしのいうことを聞いてくれたら…」
という調子。
これがそのままわたしたちのパートナーにもいえるのです。
まず恋に落ちた当初は、素直に純粋に、彼が彼であることを愛することができます。
ところが、時がたつと条件が加わってきます。
「もし、もっとお金を稼いでくれれば、ずっと好きでいるわ」
「もし、社交的になってくれたら、もっと好きになるわ」
「もし、テレビでスポーツを観る時間を減らしてくれれば、もっと愛してあげるわ」
「もし、子供のことをもう少し考えてくれたら」など、いろいろあるでしょう。
パートナーとして、親として、「たら、れば、とのついた条件つきの愛し方をしているとしたら、あなたのパートナーや子供はその条件を満たさなくてはならないのです。
条件つきの愛には、まずは相手の値踏み(価値をつけること)、チェックポイントのクリア、相手の適性など、かなりの過程、進行、経過などが必要です。
でも、こうしたことは恋愛ではなく、仕事に活用するものではないでしょうか。
無条件の愛とは、あなたの与える愛に対して、見返りを求めない愛をいいます。
相手に対しての、純粋たるプレゼントなのです。
相手があるがままでいることを、あるがままに愛するということは、仕事ではありません。
仕事なら、必要条件、審査、採点などが出てきて当然でしょう。
でも、仕事と愛を同じレベルで考えてはいけません。
愛に資格条件をつけるなんて、人間としてとてもつまらないものです。
最後に
今、日本でもバツイチの方は多くいます。
もっと視野を広げると、アメリカなんかは、既婚者の半分近くが離婚を経験するんだとか。
なにが言いたいかというと、一度離婚を経験している人は、今日本にあふれるほど居てるということです。
昔は、30代40代で離婚をしてしまうと、女性の再婚は難しい時代でした。
しかし、今は婚活や街コンなど、さまざまな出会いの場があるのです。
ですから、今の状況が本当に無理なのであれば、離婚という道を選ぶのもいいでしょう。
少なくとも、私の周りには離婚後して、今が幸せと話す人が多く存在しますからね。
関連記事
この記事へのコメントはありません。