釣り合いのとれた男女がカップルになる
アメリカの心理学者キースラーは、「釣り合いのとれた男女は、カップルになりやすい」という仮説を、実験によって証明した。
いわゆる、「マッチング仮説」と呼ばれるものである。
実験はちょっと複雑なものだが、できるだけわかりやすく紹介しよう。
まず、男子大学生に対して、知能テストを実施した。
これは、ちゃんとしたテストではなく、学生たちをふたつにわけるためのトリックのようなものである。
つまり、一方のグループには、このテストの成績が素晴らしいものだったと思わせ、自分に対する自信を高めさせておく。
これを、「高自己評価、グループ」としよう。
そして、もう一方のグループには、知能テストの成績があまりよくなかったと思わせ、自信をなくさせておく。
これは、「低自己評価グループ」とする。
さて、次からが本当の試験なのである。
この知能テストのあとに、先生は学生ひとりをつれて、お茶を飲みにいくのだ。
すると、そこには先生の知り合いの若い女性がいる。
じつは、この女性というのはサクラであり、しかも化粧によって、かなりの美人にも、逆にかなりの不美人にも変身が可能という女性なのである。
先生はいったん紹介したあと、さりげなく席をはずす。
すると、ふたりきりになった男子学生は、この女性に対して、どんな行動をとるかということがチェックされたのである。
そこで、結論なのだが、男子学生たちは、自分に自信を持った「高自己評価グループ」では、この女性が美人に変身しているときに、積極的に電話番号を聞いたり、デートに誘ったりした。
ところが、逆に「低自己評価グループ」の男子学生の方は、この女性が不美人に変身しているときの方が、電話番号を聞いたり、デートに誘ったりしていたのである。
高嶺の花を諦める心理
これは、どういうことか。
魅力的な美人を好むのは、すべての男性に共通することだろうが、では、積極的にアプローチするかというと、決してそんなことはない。
つまり、自分に自信があるときは、美人に対して堂々とアプローチをかけるが、逆に自信がないときは、美人をさけ、自分にふさわしい不美人のほうにアプローチをしているというわけである。
つまり、どうせ自分は相手にされないだろうと、無意識のうちから身をひいてしまったわけだ。
なんだか悲しいといえば、そういえないことはないが、つまり、人間というのは、だいたい自分の実力に見合った相手を、自然と選んでしまう傾向にあるのだ。
お互いが満足のできる関係
この実験と結果に、反感を覚える人もいるだろう。
美人、不美人という単純な区別をつかっているのも、ひどく不愉快なことに受け取られるかもしれない。
もちろん、人間の魅力というのは、美だけで判断されるものではない。
頭脳や特技など、さまざまな要素が入り交じって、魅力というものをつくっていくのであり、ここではきわめて単純なかたちを利用しているにすぎない。
だが、この実験結果は、そうしたさまざまな魅力を持った人間というものに対しても、かなりの程度で当てはまるのではないだろうか。
つまり、人はだいたい自分に見合っていると思う相手に好意を持ち、やがてお互いに魅かれ、カップルになっていくというわけである。
自分があまり魅力がないと思っている人は、だれが見ても魅力的で、多くの人にチヤホヤされているような人は、はじめから諦めてしまう。
それよりは、あまり多くの人には着目されないけれど、自分にとってはふさわしいと思える相手に魅力を感じる。
いや、感じようとする。
「それって、 みじめな気がする・・・」といった人もいる。
気持ちはわかるが、しかし、それは現実というものだろう。
魅力的な相手を射止めたかったら、自分も魅力的になるのが、やはり一般的な努力の道筋というものだろう。
たしかに、異性にあたえる魅力というのは、自分の力だけではどうしょうもないことも多い。
美人、不美人は、生まれついてのものだったりもするし、女性から見たら、まるで魅力がないのに、男性にはやけに好かれるという人もいる。
だから、魅力うんぬんにこだわりすぎても、妙に卑屈な気持ちまで持ってしまうことになる。
だいいち、魅力的な男性と、魅力的な女性同士が結ぼれたからといって、それで幸せになるとは限らないのである。
それよりも、自信のない男女同士が、いたわり合い、助け合いしながらやっていくほうがずっと幸せになれる可能性が高いのではないだろうか。
要は、男女ともに、いかに幸せになれるかなのである。
マッチング仮説という心理学の理論は、恋愛を考えるひとつの参考にはなるだろうが、あまりとらわれる必要もないということである。
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