男にとって「仕事」とはなにか?
だれのために働くのか?
「だれのために仕事をやってると思ってるんだ!」
というのは、ある程度の年齢になった男が口にする文句といってもいいだろう。
おれは、家族や女房のために、身を粉にして働いているんだぞというわけである。
おそらくこのセリフの影には、「たまには家のこともやってくださいよ」とかいった奥さんの文句があるのだろう。
しかし、これはあまりいいセリフではない。
仕事というのは、それをすることによって、自分という人間を豊かに大きくし、自分の夢をその仕事によって実現させる。
たぶんに理想的ではあるが、本来ならそうあるべきものだろう。
だから、仕事はまず、自分のためにしているはずなのである。
さらにいえば、家の雑事であっても家族の役にたつことなら、当然、やらなければならないのだ。
家族の幸せもまた、自分の幸せにつながることなのだから。
ところが、多くの男たちはなかなかそうは思えなくなってしまう。
やりたくもない辛い仕事を仕方なくやっているのは、家族に飯を食わせるため。
自分がいちばんの犠牲者であり、家族はその犠牲のおかげで、どうにか生活をさせても らっている。
その自分が、なんでくだらぬ雑用にまで頭を痛めたり、疲れたからだを動かしたりしなくてはならないのか。
と、そんなふうに考えてしまいがちである。
中年以降の男性のほとんどが、どちらかといえば、こんな考えに近いのではないだろうか。
いまは、爽やかな気持ちで仕事に励んでいるあなたの恋人だって、やがてはそんなふうに思ってしまう日もくるのかも知れない。
好きなことを仕事にしている男
こうした感想を持つのにいたってしまうひとつの理由には、仕事選びの失敗というのがある。
仕事や会社を選ぶとき、男たちはなにを基準に選択しているのだろう。
その会社がいわゆる一流企業で、つぶれそうもないから。
将来、発展が見込まれる業界だから。
そういったことがかなり大きな比重を占めているはずである。
だから、車のことなんてたいして好きでもないのに、自動車会社に入ったり、金融に興味もないのに、銀行に入ってしまったりする。
その仕事を、何十年間にもわたってやりつづけなければならない、ということを考えてみないのである。
ところが、やがて、仕事をつもつけていくうちに、苦痛や嫌悪の度合いが増していく。
給料をもらうため、仕方なしにやっているんだという気持ちが強まっていく。
たとえ好きな世界のことであっても、仕事となれば辛いことや面倒なことが多いのである。
それが好きでもない業界であったなら、なおさらのことだろう。
そうなれば、仕事は自分のためなどとは思うべくもない。
だれのためにやってんだ!という具合になってしまうのである。
だから、若い女性が夫となる男性を選択するうえで、ここは非常に重要なポイントとなってくるのではないだろうか。
そのお相手は、本当に自分が好きなこと、興味のあることを自分の仕事にしているのかどうか。
それをチェックしてもらいたいのである。
学生のころからジャーナリストに憧れて、マスコミに入った男。
子どものころから動物が好きで、獣医になっている男。
そんな男性だったら、中年を過ぎてからも、たとえば、「だれのために・・・」などということはいわないはずである。
自分が好きでやっている仕事であれば、ふだんの機嫌もいいだろうし、家族だって当然居心地はいいはずである。
毎日をいきいきとおくるために
女性たちも、ここはずいぶんと見過ごしがちなように思える。
一流企業に勤めているからとか、給料がいいからといったことを、夫選びのポイントにしてしまってはいないだろうか。
だが、たとえ知り合ったころは給料や収入がそれほどでもなかったとしても、男というのは好きな仕事には一生懸命になれるのである。
そして、それだけ一生懸命やれれば、当然のことながら、そこで出世したり、収入が増えたりといったことにもつながるのである。
だいいち、ご主人はつまらぬ愚痴も言わないし、いきいきとしているのだ。
「だれのために仕事をしてると思ってるんだ!」と言われて、「自分のためじゃないのよ!」と、正しいことを言い返したあとに残る白々とした空気。
そんなときのことを想像して見ると、夫選びのポイントもずいぶんとちがってくるのではないだろうか。
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