気になる彼のクセをずっと見ないふりができますか
この項、彼のクセが気になってしょうがない。
見ないふりをしていますけど、気になり出すと、なぜかそのことに関心が向いて、余計気になってしまいます。
そのクセ をやめてほしいと思うけど、なかなか彼には言えないんです。
言う勇気がないんですよね。
彼の反応が恐くて…
クセとは何なのだろう。
「かたよった行動、または習慣」のことをいう(『広辞苑』)。
相手の行動で、しかもぞれが習慣化しているので、くり返し行なわれている。
どんな行動であっても、それは個人的なものなのだから、他人からどうこう言われなきゃならないものではないはず。
それが、親しい関係の相手である場合に問題視されるということが起こるのだ。
「気になる」「不快感を誘う」といった感情を喚起したり、「やめてほしい」「みっともない」などといった批判や非難の対象になったりする。
他の人たちとの関わりの脈略において、クセとは「欠点、非難されるべきこと」という意味が加えられることになる。
このように、人から非難されようが、されまいが、人はみな何らかのクセを持っているのが普通だ。
クセのない人間など存在しないのだ。
それがなぜ、非難や批判の対象になるのだろう。
彼にとっての当たり前が私にとって不愉快だったら
ここで、人間の長所・短所について考えてみよう。
人はそれぞれに自分の好みがある。
着るものや食べものから始まり、行動のスタイル、しぐさ、言葉使いなどと、ありとあらゆることを自分の好みで選び、行動している。
そんなに深い理由があるわけではないが、育ってきた環境の影響でいつの間にか身につけ習慣化したものである。
それが彼にとっては自然であり、当然なことなのだが、同じように育ってこなかった自分にとっては不自然であったり、おかしいことに見えることがある。
時には不快感を抱いたりする。
そういう反応をするのも、考えてみれば自然なことなのだ。
彼と自分はちがうのだから。
こうしたお互いの行動のパターンを自分の好みや価値観の規準で評価し、長所だ、欠点だと決めつけ、「悪いクセ」だから改めて欲しい、という思いを抱かせたり、ときには相手の行動を自分のパターンと同じものになることを強いてしまったりする。
恋人同志は、同じ考え、同じ思い、同じ行動のパターンを共有しなければいけない。
といった思いをいつの間にか心の中に抱くようになってしまう。
関係が浅かったり、一時的なものならどうでもいいことなのだが、長く、深くつき合っていきたいと思うから、そこに生ずる異和感や不快感を放っておけないという気になってしまうのだろう。
自分の好みに合わない相手の行動パターン、いやなクセと感じることにどう対応したらいいのか。
これは親しい関係を築く過程においては避げることができない永遠の課題だと思う。
いやなことを「いや」と言える関係
関係を長く、深くつづけるためには「気になるクセは見ないふり」する方がいいのだろうか。
多くの人が迷う問題だ。
自分にとって気になる相手のクセを見ぬふりする方が波を立てなくていい、という立場をとる人の気持ちがわからないでもないが、私はなるべくなら「いやならばいや。と一言える」関係の方が長くつづくと思うのだ。
夫婦間の葛藤を抱えて相談に見える多くの人たちの事例から判断しても、そうだと思う。
いやなことを見て見ぬふりをしたり、黙って自分を抑えているカップルは、表面的にはうまくやっているようだが、それは見せかけのことであって真実な交流が欠けている。
また、一時的には関係はつづいても、長くつづかないと思う。
いやなことは「いや」と言える関係にこそ、本当の愛の関係があると、私は思う。
人間には、自分の思いや願望を表現する権利がある。
二人の関係が真実な関わりであるためには、その権利を行使する自由がなければならないと思うのだ。
自分を表現し合い、相手の思いや考えに耳を傾け、考慮し合う関係。
そしてときには、自分の行動パターンの評価や批判であってもそれを受け入れ、自分を変えることができる関係。
さらに、批判を受けることで多少は傷つくこともあって仕方がないこととして受けとめ合える関係。
そして、相手が傷ついたときには、その傷を労り、癒し合える関係。
そんな関係が本物の関係、本音でつき合う関係といえるのではないだろうか。
こういった関わり方ができる関係の中に本当の愛(みせかけの愛でなく)が育ち、長くつづく愛の関係になるのだと思う。
愛される女性のNOの言い方
ところで、いやと言うには勇気も要れば、技能も要る。
自己を表現する権利を自覚し、本物の愛の関係を築くためという目的がはっきりしていれば、いやなことをいやと言う勇気も湧いてくるのではないだろうか。
自分が言ってはいけないことだと思ったり、言う資格がないと思っていたら、勇気は湧いてこない。
自分を大事にし、愛し合う関係を大事にするからこそ自分の思いや願望を表現するのだと、自分に一言い聞かせたらよいのだ。
もちろん、その表現の仕方には工夫も、技能も必要だ。
①まず、上手な批判は、相手のよい部分の認識からはじめる。相手への尊敬の心が欠かせない。
②批判したい相手の行動の原因を冷静沈着に見きわめる。
③批判が、単に「気にいらない」という個人的な好みから発したものか、真に相手のためを思っているものなのかを見定める。
④あくまでも相手への尊敬を表わしながら、改善したほうが、その人にとってプラスになる言動を指摘すること。
⑤相手が批判をきちんと受けとめたかどうかを見届ける。相手が理解してくれたと確信がもてるまで、何度でも言葉を変えて説明すること。
相手との和を気にしすぎると、自分を必要以上に抑えたり、相手に合わせすぎたりして、その結果、相手に対する負の感情を募らせるということが生ずるのだ。
その募った負の感情が溜まるとどこかに排け口を求めるようになる。
爆発することもある。
そんなときの相手は、その理由がわからず戸惑ってしまう。
なんとなく不機嫌になるパートナーにどう対応してよいかわからず、困惑することにもなるのだ。
傷つくのはよくないことだという思いから、相手を気づかうあまり、自己表現をしないことは、相手を大切にしているようであって、実はそのこと自体が倣慢なのかもしれない。
むしろ、傷つくことがあっても、いやなことはいやと言える関係の方が、相手にも、自分にも忠実であるということではないだろうか。
たかがクセ、されどクセ。
それにどう対応するかで二人の関係の質がかなり左右されることになる。
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