大切なのは「ほどほどの距離感」
恋愛時代は映画を観るのも、スキーを楽しむのも、お酒を飲むのも、いつも一緒に行動するのが常である。
ところが結婚すると、お互いに自由行動を認めあわないと苦しくなることがある。
つまり物理的に接近すると心も接近して、お互いの自由がなくなる不便さがある。
たとえていえば、団体海外ツアーを思い出すとよい。
朝昼晩、同じ人間が顔をつきあわせて旅行しているうちに、ツアーグループの中でケンカがおこることがある。
ところが団長格の人がケンカに巻き込まれることは稀である。
団長格の人には自分だけのベッドルームが与えられているので、夜はひとりになれるからである。
仲間と一時的に離れて、自分だけの世界がもてるということが、精神衛生上プラスになるのである。
恋人同士はひとつ屋根の下に住んでいないので、日帰りパスツアーといえる。
しかし結婚は、同室者のいる宿泊ツアーなので、やがてお互いが鼻につきだして、トラブルをおこす率が高い。
したがって結婚では、お互いに自由の領域を確保しておくほうがよい。
夫婦一緒に仲よく出歩くカップルがいるが、ふだんはなかなか一緒になれないので、時たまの団体海外ツアー方式の生活を楽しんでいるのである。
いつでもどこでも二人一緒にいるわけではない。
結婚してからでも恋人時代のように一緒に行動したがるカップルもいるかもしれないが、これでは社会との接触も減るし、両方あるいはいずれかの配偶者から解放感をうばうし、各自の内的世界を見つめる時間もなくなるので、あまりよいことではない。
世の中のことはな んでも「ほどほど」がよい。
互いの抑制と我慢でトラブルを避ける
たしかに恋愛時代はお互いにオープンで隠しごとがない。
そういうオーセンティック(損得勘定がなく純粋)な関係が生きるカの源泉になっている。
ところが結婚では、オーセンティックといっても限度がある。
いってよいことと悪いことの識別を上手にしないととには、トラブルがおこる。
たとえば会社でいやなことがあっても、家族にはいちいち告白しないで我慢する。
妻子から見て依存と敬意の対象になっている関係上、ある程度、毅然とした姿勢を示す必要を感じるからである。
これが恋愛関係なら、ことこまかに状況をぶちまげ、怒りを下げることができる。
そして一つの内的世界を共有してもらうことができる。
だから結婚には、どうしても孤独感がつきまとう。
しかし、この孤独感があるから、自問自答して、自力で人生を開拓していく気力と能力が養われるのである。
ただし結婚は恋愛と違って、共同経営者の仲であるから、転職や子どもの教育問題など、いよいよ大事な局面になると、配偶者とオープンなディスカッションをする。
恋愛関係ではこれがない。
まだ共同経営者としての契約をしていないから、相手の人生に対する権限も黄任もないのである。
つまり、恋愛よりも結婚のほうがお互いに自律能力を要するということである。
いいかえれば、状況を見て自分の言動を抑制する必要度の高い人間関係。
これが結婚である。
我慢してある程度のフラストレーション(欲求不満)に耐えるのが結婚であり、なんでもべらべらしゃべって解放感を味わえるのが恋愛である。
こうなると、恋愛時代のようになんでもべらべらしゃべっても、トラブルをおこさないことにしようという契約で結婚する人も出現する。
これがアメリカのオープン・マリッジである。
しかし、これとても浮気体験の詳細はお互いにききあわないことというルールはある。
やはり、結婚は恋愛より現実感覚を必要とするビジネスだといえる。
親密でありつつも、一方では自他の領域をおかきないというディタッチメント(淡泊さ) の姿勢があったほうが結婚はうまくいく。
その点は育児とも似ている。
つまり子どもにあまり密着する(アタッチメント)と子どもは苦しくなる。
そこで気のきいた親は適度に子どもを自由にさせる(ディタッチメント)。
結婚はアタッチメントとディタッチメントのバランスが大切である。
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