自分は親切なつもりでしているのに、相手からとればいい迷惑。
これはまさに、ありがた迷惑の典型的な行動の特徴です。
逆に、同じく親切なつもりでしていても、気の利く人だなと思われる人もいます。
この二つの違いとは、いったいどのような部分が違うというのでしょうか?
今回はそんな、ありがた迷惑な人と気の利く人の違いについて、ご紹介していこうと思います。
ありがた迷惑な人はある意味「口うるさい」
どんなささいなことにでも、非常に親切な人がいます。
例えば、隣りの席の同僚のデスクの上に置いてある一本のベン。
デスクの端のほうに寄っていて、今にも落ちそうです。
すかさずに「OOさん、ベンが落ちそうですよ。ほら!もうちょっと真ん中に置いたら?」と教えてくれる。
また、昼休み、お茶をいれてお盆で持っていく途中、「あらあら、こぼれそうじゃない?もうひとつ大きめのお盆があったでしょう」と注意してくれる。
はたまた、「靴ひもがほどけそうだよ。これはひもが長過ぎる。少し切るか。二回結んでおけば?」
これらは確かに親切です。
しかし思うのですが、ペンの一本くらい、デスクから落ちてもいいのではないでしょうか。
お茶がこぼれたら、本人が入れ直すのではないでしょうか。
それがめんどうなら「今度は二回に分けて運ほう」とか、本人も考え直すことでしょう。
靴ひもにいたっては、子どもではないのだから、少々不便そうでも、本人の好きなように結ばせてやってほしい。
他人のしているささいなことに「こうすればいいのよ」と口にする。
これは偏見かもしれませんが、どうも女の人に多いような気がします。
母性本能という女性ならではの本能です。
細かいことにいろいろ気づいてしまい、気づけば口にせずにいられないのでしょう。
たいていの大人は、黙ってこれにつきあっています。
「ああ、ありがとうございます」と言いながらベンを机の真ん中に戻し、「そうですね、大きいお盆にしましょうか」と給湯室に戻る。
しかし、その親切な行為は、たいして 「ありがたい」と思われていないのかもしれません。
親切な人とは思われても、ありがた迷惑とも思われてしまうのです。
中には「やれやれ、いちいちうるさいなあ」と思う人もきっといます。
これを読んで「私もそういうところがあるかも」と思った人は要注意。
これからは、気づいたときに「ひと言少なく」を心がけ、どうでもいいことは黙っておこう。
ペンが落ちようと、靴ひもがほどけようと、世の中の大勢に影響はない。
そばにいる人は、あまりうるさくない方がずっとありがたいものなのです。
ありがた迷惑を抑えることができれば、「気の利く人に変身」
ありがた迷惑な人と気の利く人との違いは、簡単に言うと「やりすぎ」か「やりすぎではないか」という違いです。
先ほどもご紹介した通り、「どうでもいいこと」にまで口出しをしてしまう、ということも、もちろん関係します。
【ありがた迷惑な人を卒業して、気の利く人になりたい!】
そう思うのであれば、まずは「相手が困っている」ことになんでも口出しするのではなく、「相手の気持ちを読み取る」ことが大事です。
相手の気持ちを読み取るとは、「相手がどうしてほしいのか?」その気持ちを読み取ることです。
ここで注意しなければならないことは、相手の気持ちを読み取ったからといって、なんでもかんでも口出ししないことです。
これをしてしまっては、またまたありがた迷惑な人に逆戻りです。
たまに自分が親切心で助けてあげよう。
これくらいの気持ちで日々を過ごすことがコツです。
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