相手の言葉を裏読みしないほうがよい
ひたすらな人間(強迫的な人)は「精神一到何事か成らざらん!」というわげで、いつまでもしつこく押しの一手に徹する。
抗し切れなくなった相手は、一時的にイエスというかもしれないが、やがてノーという。
そしてまたイエスという。
押し手のほうは迷い、混乱するが「いやも好きのうちかもしれない」と思ったりする。
恋愛関係は心理療法ではないので、精神分析医の真似事をして「ノーというのはイエスの裏返しである」などと推論しないほうがよい。
しかたなしに相手が義理でつきあっていることもある。
いくら恋人になってほしくても、相手が「いつまでも友だちのままでいたい」というなら、その言葉を額面どおりに受けとったほうがよい。
また相手が既婚者の場合、離婚してまでこちらに合流してくれることは稀である。
家族も大事、恋人も大事、という二刀流の人が少なくないからである。
「人は一時にひとりしか愛しえないはずである」という考えに固執して、彼の「結婚する気はない」という言葉を「口ではそういうけど、彼が好きなのは私だけ。本当は私と結婚したいのよ」などと思い込まないほうがよい。
あなたは一時にひとりしか愛しえない人かもしれない。
しかし、世の中すべての異性があなたと同じ考えであるとはいえない。
恋人なしの人生のほうがずっとましな場合もある
今まで述べてきたように、すべての恋愛が自他を幸福にするわけではない。
人生を台なしにする男女関係もある。
不幸な人生をおくるよりは、別離の寂しさ・不安・虚無感に一時は耐えて、少しでも幸福な人生を模索したほうがよい。
離婚と同じ原理である。
離婚を人生の失敗のように思う人がいるが、離婚してよかった、再婚してよかったという人もいる。
それと同じで、 別れてよかったという恋愛関係もある。
中途半端な人間でも恋人にしておくほうが、仲間の中である地位を確保できるからよいと思う人もいるかもしれない(不幸な結婚でも、社会からは既婚者として遇され得することがあるから、結婚を解消しない心理)と似ている。
しかし、ここは人生哲学の問題である。
恋愛は結婚ほど社会的に規制されない人間関係であるから、解消しても社会的損失は少ない。
心理的損失(心理的ダメージ)だけにとどめることができる。
そこで「中途半端な人間を恋人とするよりも、自分ひとりになってもっとベタな人生を模索したほうがよいのではないか」と自問自答してみるのである。
別れだ後のつらさは時が解決してくれる
人間には誰でも分離不安(別れるつらさ)がある。
だから別れはいやなものである。
ふるのもふられるのもいやなのがふつうである。
しかし、このいやな感じが永遠に続かないのもまたふつうである。
なぜなら、たいていの人間は仕事や対人関係をもっているので、やがてこれらの対象に気持ちを向けるからである。
ただし、やりがいのある仕事もないし、友人もいない人は、虚無感や絶望感から脱却するのに日時がかかる。
そこで意図的に仕事に没頭するとか、友人に話を聞いてもらうなど、かかわる対象をつくることである。
「あの人は私を愛し続けるべきだった」
「私はあの人から去るべきではなかった」
「あの人はきっといつか、私のところに戻ってくる」
などといつまでも固執していても意味がない。
愛の関係は一生に一度だけ、特定の人物としかもちえないものだ、などということはないのである。
また、一生に一度しかもってはならないという人倫があるわけでもない。
振る場合でも振られる場合でも、それはこれから新しい生き方をする機会であると考えられる。
終わった恋愛を惜しむより、これからどんな生き方をするかを考えることである。
幼児なら愛の対象を失うと生涯孤独の不安におそわれるのもやむをえないが、大人はこの孤独に耐えられる。
耐えながら、その苦しみをパネに次の生き方を模索することができる。
自分にそういい聞かせることである。
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