自分の人生を棒にふってしまうおそれのある関係
相互が同時に愛想をつかす場合がいちばん別れやすいが、それは稀である。
どちらかが先に嫌気がさす例のほうが多い。
では、どういう場合にそうなるのか。
一言でいうと、一方が他方を支配する場合である。
支配されるほうが悲鳴をあげる。
そしてこの悲鳴は、是認されるべきものである。
どういう 場合に「悲鳴をあげるのも当然」なのか。
以下の4つの場合がある。
その4つがこちらです。
①一方が他方をおとす場合
恋愛といっても、二人の関係を持続するために 一方が他方におどしをかけることがある。
「別れるなら、君の秘密をばらす」「別れても君につきまとって、恋愛も結婚もぶち壊しにしてやる」といった類のセリフでおどすことから、暴力をふるうものまである。
こういうときにひるまずに、相手の職場の上司に訴えるとか、相手の前から姿を消すなどの強硬手段を考えるとよさそうなものだが、いわれるままに服従する人がいる。
別れるという処置がとれないのである。
②一方が弱さを売りものにする場合
恋愛中といっても、相手に頼られすぎて、別れるに別れられないことがある。
つまり相手が無能の場合である。
仕事が長続きしない、金銭感覚がない、自分では何も決められない、世間並みの人づきあいができない、ひとりで行動できない…
人に依存しないと生きられない人がいる。
こういう人は「君がいないと、僕はダメなんだ」とか「あなたがいなくなったら、私は死んでしまうしかない」などといい、そのセリフが二人のリレーションを持続させ ることを知っている。
こういう人間の相手役をつとめると、絶えず召使いであらねばならない。
疲れる。
自分には甘える対象がない。
そういう苦しい恋愛になる。
初めのうちは心のふれあいがあるかもしれないが、共感的理解だけで幸福になれるわけではない。
自分だって共感的に理解してほしいわけである。
ところが召使いの役が嫌いであるにもかかわらず、いっこうに足を洗わない人がいる。
③一方が罪障感をかき立てる場合
恋愛関係を持続させるために「君のせいでこうなった」とことあるごとにいい、相手に責任を感じさせるように持ち込む人がいる。
「本当に私のせいかしら?私が原因なの?」と考えてみれば、そうでないことがわかりそうなのに真に受けて、ますます自己反省のかたまりになる人がいる。
ポストが赤いのも自分のせいだと思い込む類である。
自分が相手を不幸にしたと思い込むと、責任をとろうとするから、別れたくても別れられなくなる。
たとえば恋人から、こういわれた女性がいる。
「最近、職場の上司や同僚も、学生時代の友人もみんな、僕のことを誘ってくれないんだ。 君が待っているから、誘いがあってもいつも断わっていたから。君のおかげで職場では孤立するし、残業を拒否する男ってことで信用がた落ちだし、こうなった以上は僕の生活は君中心で回すしかないよ」
デートはむしろ彼のほうから誘うことが多かったのだが、彼女は責任を感じた。
これでは酔っぱらいが飲み屋で「なんで僕に酒を飲ませたんだ?酔っぱらったじゃないか」とからむようなもの。
酔っぱらいが自分の意志でお酒を飲んだように、彼女とのデートを優先させたのは彼自身。
彼の言い分は実に理不尽であるにもかかわらず、彼女に「そんな彼とは別れたら?」とアドバイスしてもあまり効果がない。
④一方が嫉妬心を刺滅する場合
たとえば恋人の気持ちをつなぎとめるため、わざと職場の女性から誘われた話などをし「君以外にもいい人がいるんだ。いやなら別れてやってもいいぞ」と誇示する人がいる。
気の弱い人聞は恋人の心をとり戻そうとして、ますます献身する。
これはちょうどアメリカの会社員が上司に向かって「OO会社が私をひき抜きたいといっている」とアピールするのと似ている。
上司はその有能な部下に逃げられたら困る(嫉妬) ので、昇給・昇進を約束するわけだ。
日本の女性が煮え切らない男性に「私、今度お見合いしようと思っているの」というのと同じ発想である。
嫉妬心のない人聞はいない。
だから嫉妬心をかき立てて人を支配するのは、生活の知恵である。
ちなみに、男性のほうが女性よりも嫉妬心が強いという説がある。
「ほかに好きな人がいるなら、私のほうから別れてあげるわ」「僕よりそいつのほうがいいなら勝手にしろ!」と一蹴できれば小気味よいと思うが、嫉妬心ゆえに、つまらない相手にますます吸い寄せられるのである。
関連記事
この記事へのコメントはありません。