「この人しかいない」という思い込みを捨てる
まず例を挙げてから、話をすすめよう。
ある青年が僧侶のところに悩みの相談に行った。
会話しているときに、一匹の虫が障子の穴から入ってきた。
ところがこの虫は、外に出るときに障子に体当たりして、そこに別の穴をあけて外に出ようともがいていた。
これを見た僧侶が青年にこう説いた。
「君もあの虫と同じだ。入ってきたときの穴から出ればよいものを、新しく穴をあけてそこから出なければならないと思い込んでいる」
私にいわせると、この虫の行動を「強迫的」という。
わき目もふらずに「一人でなりればならない」と一点に固着している。
これが悩みの根源である。
たしかに「精神一到何事か成らざらん」とか「一念岩をも通す」という言葉があるので、しつこく相手を口説いているうちに、 必ずこちらにいつか振り向いてくれるだろうと思うのは一理ある。
なかには、相手に断わられでも電話をかけたり、道で待ちぶせしてつきまとったりする人がいる。
しかし、人の愛情は無理にもらわないほうがよい。
いやがるものを無理に説得し、愛情獲得が一時的に成功したとしても、それが長く続くことは稀だからである。
根負けして口説かれた側は、いつまでも不快・怒りが消えないのがふつうである。
また、このようなストーカー体質の人は最近かなり多い。
だから、 やがてこの一時的な親交は崩壊する率が高い。
ふられるときには大胆にふられたほうがよい。
そして次の相手を探したほうがよい。
これはカウンセリングの原理と似ている。
相談にやって来た青年が「どうすれば恋人ができるか」と問う。
カウンセラーは「親から心理的に離乳することだ。親の顔色をうかがってびくびく生きている青年は、女性にもてないと思うけどね」と答える。
ところが本人は「親から独立するなんて、私には無理だ」と答える。
つまりこの青年は、親から心理的に離乳するだけの心の準備がなかったので、カウンセラーの考えについてこられないのである。
こういう場合は、無理に親から独立せよとゆさぶりをかけない。
まだ、あなたの心のなかに彼女から独立という事を考えれていないのと同じなのである。
すなわち、人間関係というのはゆっくりと深めていくほうがよい。
焦ってしまい、この警告を無視して強引に迫ると、相手に抵抗をおこさせるからである。
だからカウンセリングを受けたいという人がやって来ても、場合によっては「OOという本でも読んで、やっぱりカウンセリングを受けたほうがよいと思った時点で、再び来室されてはどうですか」とアドバイスして別れる。
決して、強迫的にしつこく、「これでもか、これでもか」とまくしたてることはしない。
男性と女性がリレーション(構えのない心のふれあい)をつくるときも、同じ心構えが必要である。
人間関係には押しても引いてもダメ、ということがある。
「人は私の欲するとおりに行動すべきである」というイラショナル・ビリーフ(理屈に合わない思い込み)を捨て 「お互いにほかの誰かと親交をもつほうがよいのかもしれない」と考えたほうがよい。
特定の相手にいつまでも固執し「あなたなしでは生きられない」といいはる人は「I Love You」ではなく「I Need You」といっているのである。
つまり相手に依存しているわけである。
これでは、自力で生きていけない人間である、と宣言しているようなものである。
「I Love You」というのは、自分のみで生きていける人間がいえるセリフなのです。
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