なぜ不倫の恋にはまってしまうのか?
妻子ある男性との恋に悩むあなた。
あてどなく湖に石を投げこんでいるような、愛されているはずなのにどこかもの足りない、不安な網わたりのような恋愛。
たった一枚の紙切れが何なの!
家庭にしばられるなんてまっぴら!
と、今風な女性を気どって突っぱってはみるけれど、どこか心の隅でふるい妻という一文字にこだわっているあなた。
実は私も、一度だけ妻子のある男性に恋をして、つらい、淋しい思いをしたことがある。
若かった頃、私は絶対恋の対象に、家庭のある男性は選ばなかった。
いや、ほんとは避けていたといった方がいい。
独占欲が人一倍強くて、わがままで、到底一人の男性を二人の女で共有することなど、思いもよらない性格の自分自身をよくよく知りぬいていたから、運よく、妻子ある相手とは、恋に陥らずに済んでいた。
そんな私が、ちょうど一つの恋にピリオドを打ったあと、ふと自分の弱味を承知でのめりこんでしまった相手に、妻子があったのである。
最初は「遊びよ」といってみた。
「恋なんて青春のゲームよ、気のあった男とはせいぜい楽しむのが私の主義よ」と悪女を装ってみたりもした。
「会えない時間は他人がいいじゃない」とサバサバ割り切ったふりを相手にも見せ、自分の心にも言い聞かせながら、その恋は半年を過ぎた。
そのころになって、ようやく自慢の売り文句、会えない時聞が他人でいられなくなっている自分のなかの私を、私はもてあますようになっていた。
相手の男に情が増してくればくるだけ、会えない時聞は他人どころか、会えない時間ほど相手のことを考えて今ごろどうしているかしら、食事をしている時分かしら、それとも風呂かな、いやもしかしたら奥さんと仲よくベッドに入ったころかしら、と自分の妄想に苦しめられ、さいなまれ、つらい夜が続くようになっていた。
そのくせ悪い予想を裏切って深夜、男から、「いま、銀座で友達と飲んでいるんだよ」などと明るい屈託のない声で電話などかかってこようものなら、嬉しさにほとんど涙声になりながら、「あらそう、わたしもうすっかり眠っちゃっていたのよ」
などとウソをついてみせるのも、気の強い意地っ張りな私のわるいくせであった。
幸せの結末はどっちの道に?
「ねえあなたの奥さん、私たちのこと感づいてないのかしら」
それが私の最大の関心事であり、とことん問いつめてみたい大事なことがらであった。
その問いに対して、あるときは突然のくちづけで、またあるときはうす笑いで「さあね」と首をかしげてごまかしてる男の暖昧な態度は、私の恋の不安をいっそうかりたてた。
「分かってないわけじゃない」
私は女の愚かさで言いつのった。
「あなたはこれで二晩も家をあけているのよ。それにXマスだってお正月だって私とずっと一緒に居たんですもの」
肯定とも否定ともつかない、苦しそうな男の表情は、そのまま彼の答えでもあったわけだけど、私は何らかのアクションをおこして、そのことを確かめてみずにはいられなくなっていた。
私は彼の家庭と共通する友人を部屋に呼んで招待してみたり、人目につきやすいパーティーや、フォーマルな場所に、わざと彼と連れだって出かけたりして、何らかのかたちで彼の奥さんに私のことを知られずに済まないようなことばかりをやり続けた。
しかし結果は、悲しい街のような、あるいはシンと澄んでさざ波一つ立たない湖のような、相手の沈黙だけ、であった。
その沈黙が、私という女に対する無視ではないかとますますいら立った私は、ある日、彼の下着に自分の口紅をうすくぬりつけて、彼を家に帰したことさえあった。
きっと何かの反応があるに違いないと、意地悪く待っていた私に、かえってきた答えは、やはり以前と同じ何ら変わりのない静かな妻の沈黙だけであった。
ここにいたって、私はあれほど馬鹿にしようとした一枚の紙きれの重要性と大きさに、やっと気がついたわけである。
からまわりだった自分の猿芝居を、ふと気づかされたときのみじめさ。
ああこの恋をあきらめる以外に、私に何の解決方法があるというのだろう。
「疲れちゃった…」
その短い言葉を別ればなしのイントロにして、私は男に別離を告げた。
男もまた黙ってうなずいて、私のさよならを素直に聞いてくれた。
彼もまた、私以上に疲れていたに違いない。
私の情熱に?
いいえ妻の沈黙に。
さて、妻子ある男性に恋しているあなた。
あなたがその恋に完全に勝とうと思うなら、あなたは妻の沈黙に倍する沈黙で彼女と対応しなくてはならない。
しかも家庭という高い壁も、あの白い一枚の紙きれのささえもなしに。
あなた、できますか?
私はいまでも、やはり、できそうにありません…
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