恋愛が長続きしない女性は妥協しがち?

だますつもりはなくても、だましてしまう人

男女づきあいの中でも、特にこの「裏のある恋愛」は若い人たちを失意に陥れるものといえよう。

純粋に愛しあっていると思っていたのに、相手はやすやすと違う相手に乗り換えたとか、いざ結婚という土壇場になって拒否されたとか。

当事者の一方を嘆かせる恋愛がこれである。

だますつもりはなくても、結果的にだましたことになるのはなぜか。

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その原因は三つあるが、それを抽象的にまとめていえば「本人が自分の実態を知らないままに、相手との関係を深める」からである。

わかりにくいと思うので、三つの原因について具体的な例を挙げながら、説明してみよう。

まず第一の原因は、ホンネをいえない性格にある。

 

「自分でいうのもなんなのですが、私は人当たりがよくて、もてるんです」という 若い女性が相談に来たことがある。

彼女はもてるタイプだから恋人もできやすいのだが、つきあいが長く続かないという。

よく話を聞いてみたところ彼女の言い分はこうだった。

 

「つきあい始めた最初の頃は、とにかくニコニコ、ニコニコ」

「いいたいこともいわず、相手が喜ぶことをしたい一心で、顔色を見ながらつきあう感じです」

「私はごく自然にやってることですが、それが相手は疲れるみたい」という。

 

カウンセラーなら「なぜ彼女は人に合わせることばかり考えるようになったか。どうすればいいたいことがいえるようになるか」を考えながら彼女とつきあうわけだが、これが恋愛の相手となるとそうはいかない。

本音をいわない恋人に相手は苛立ち、合わせてくれる一方のつきあいが負担になって、つきあいを解消したくもなるだろう。

恋人は心理療法家ではないのだから、やむをえないことである。

 

この場合、ふったほうもふられたほうも、まさかそういう結末になるとは思っていなかった。

つまり、双方に戦略があったわけではないから、傷も深い。

しかし「いいたいことがいえない」のは性格とはいえ、改善の余地はある。

 

たとえばそれが幼年期以来「いつもいい子でいる」ことを求められてきた結果だったら、その強迫観念を打破するなど、今度はその逆の努力が求められるところである。

このように、つきあいが長く濃密になれば、それまで自分でも気づかなかった自分の生地が露出してくるものである。

すると本人も自分の地にびっくりし、相手も対処し切れず閉口する。

 

彼女のように、いつも人の顔色をうかがうとか、甘えん坊でベタベタしすぎるとか、アンビパレンス(どっちつかずの感情)でいうことがくるくる変わるとか、快楽への罪障感でデートを楽しめないとか。

その多くは幼年期以来もち続砂ている心理に起因するものである。

これが「だますつもりはないのに結果的にだました」ことになってしまうのである。

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心変わりがどうしても避けられない理由

第二の原因は、好き嫌いの感情がきわめて不安定なことにある。

相手がこちらの欲求を満たしてくれる限りは「好き」だが、少しも満たしてくれなくなったら「嫌い」になるのはごく自然のことともいえる。

「無条件で私を好いてください」とお願いしても、ふつう人は応えてくれない。

 

無条件に与えられるのは、幼児に対する親の愛くらいのものである。

それさえも、子どもが新しい布団に毎晩おねしょをしたりすれば、やがては「いいかげんにしなさい!」と怒鳴るかもしれない。

人と人との愛情交換には、何がきっかけで変化するかわからない不安定な脆さが内包されている。

 

だから仮に「無条件で愛してあげましょう」という恋人が現われたとしても、それは一種の慈善事業か心理療法の真似事をしているだけである場合が少なくないのである。

たとえば、売れない役者をしている男性を好きになった女性がいる。

彼女は社交家で明るい女性だが、男性はどちらかというと消極的で友人も少ないタイプである。

 

彼女は「彼を一人前の売れっ子役者にしてあげたい。それが私の愛情よ」と思い、芝居が上演されるときは大量のチケットを売りさばいたり、生活が苦しい彼にときには賛沢な食事をおごったり。

誠心誠意尽くしているつもりだった。

最初のうちは彼も「この人は本当に僕を愛してくれている。僕は何もしてあげられないけど、この人の気持ちに甘えよう」という気持ちだったのだが、しだいに彼女の愛情に押しつけがましさを感じ始めた。

 

そしてある日突然、「芝居の仕事は全部自分でやるから、君はもっと自分の仕事をがんばってよ。今度、ギャラが入ったら、今までのお礼に僕がおごるよ」と、やんわり彼女を拒絶した。

これは彼女にとって、一大事だった。

それまで心のどこかに「彼に恵みを施している」気持ちがあったのだろう。

 

彼が自立したことで「飼い犬に手をかまれた」心境になり、愛は行き場を失い、百年の恋が瞬時にしてさめる思いを味わったのである。

この恋愛の悲劇は、彼のほうには「世の中にはこういう無償の愛もあるはず。いや、あってほしい」という甘い願望があった。

彼女のほうには「彼を助げてあげられるのは私だけ。愛はこの人をビッグにする」という甘い幻想があったことに起因している。

 

互いに「純粋の愛」のつもりでいたにせよ、若干の願望が混入していたわけだ。

もちろん、無条件の愛があるにこしたことはない。

愛が人を癒したり、成長させてくれるなら、それにこしたことはない。

 

と同時に、自分自身に人を癒す無限の愛があるにこしたことはない。

しかしこれは「あるにこしたことはない」という話である。

決して「あるはずだ」「あって当然だ」「ないのはおかしい」というわけではない。

こういう思い込みから無条件の愛に走ると、いずれは互いの心変わりに泣くことになるのである。

 

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