人生に疲れた20代の人へ

愛されないことを恐れるな

人間はこんなにも多くの不幸を背負いながら、なぜ生きていかなければならないのだろうか。

たった一度の人生に、たった一回のこの人生に、とりかえしのつかない失敗なんでいうものがあっていいのだろうか。

もう二度とかえってこないこの時代に、こんな悲しいことがあっていいものだろうか。

自分がもっとも大切にしているものを得ることができないまま、これ以上生きていかなければならないのだろうか。

ああ、人生は長い。

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それにしても、不幸の種類は何と多いことだろう。

もうこれでいい、これでもう大丈夫だと思っていると、予想もつかない悲しみがわれわれを襲う。

死ぬまで手をかえ品をかえ人間に襲ってくるさまざまな不幸。

金持ちになっても貧乏になっても、どっちにどうころんでも、われわれが人間であるかぎり、われわれは不幸からのがれることができないのだ。

 

じっと耐えること、耐えて耐えて、ただただ耐えて耐えて、死ぬまで耐えることだ。

しかし、いったい何のためにこれほどわれわれ人間は耐えなければならないのか。

人生がテレビの健全なホームドラマのようであるならば…

だが、どうしてあんなにもバカバカしい健全なホームドラマが演じられるのだろう。

現実のわれわれの生が、あれほどまでにバカバカしくなく、はるかに悲惨だからであろうか。

 

だが、私はあの健全なホームドラマを見ていると、しゃくにさわって、テレビをたたきこわしたくなる。

やめてくれ!俺たち人間の人生は、もっと悲惨なものだ!

そう叫びたくなるのだ。

死にたい、死んでしまいたい、ああ死んでしまったら、どんなに楽か!

でも死ねない自分。

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死にたい!

死にたい、ああ、死んでしまいたい!

と叫んだあと、われわれは、ああ、死ねない、死ねない、どうしても死ねない、と叫ばねばならないのだ。

胸につかえてしまった悲しみ、万年雪のようにとけそうもない心の痛み、そうしたものを抱きながら、ああ、それでも人間は生きていかなければならないのだ。

 

東京に地震がきたらどうするか。

そうしたことを考えていられる人は幸せな人だ。

大地震がきたら、その時、私は私の苦しみといっしょにこの人生と別れることができる。

そう思っている人だって多いのだ。

 

ああ、もうどうなったっていい。

やけっぱちな気持ちに襲われる。

しかし、その心の底で執搬に、いかん、いかん、やけっぱちになってはいかんという声がする。

神はいったい人間をどこまで苦しめれば気がすむのであろうか。

 

神さま!もうこのくらいにしてください。

思わずそうつぶやいてしまったことのない人は、いったいこの世に何人いるのだろうか。

もはや八方ふさがれた。

出口なし。

そう思った時、それでもなお生きていけというのが神なのか。

 

もう生きていけないのに、生きていけというのが神なのか。

運命にもてあそばれ、疲れはて、気が狂いそうになってもまだ不幸は襲ってくる。

ヘビの生殺しのようにされて生かされているわれわれ人間。

ああ、その宿命!

 

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